SSブログ

宝塚歌劇団員死亡問題から

 今日(11月15日)のマスコミは昨日の宝塚歌劇団の団員死亡事件についての記者会見の話題を相次いで報じている。一昨日(13日)の記事でNHKの「あさイチ」を採りあげたが、その前の時間で放映されている朝ドラの「ブギウギ」では、主人公が所属する歌劇団で人員整理反対のストが起こったり、戦争の影がほの見えたり、などがある中で、主人公は歌が好きという一心で頑張ってきている過程だが、その裏では何があるか、と重ねて観ざるを得なくなってしまった。


   NHKも紅白で旧ジャニーズの歌手は出場させないと打ち出したのに、看板番組に影を落とすような現実がまたも起こってしまうと、テレビの厳しい現状の中では苦しいところではあろうけれど、また現実を一歩離れたところでエンタメは成立するのかもしれないけれど、やはり現実は、パレスチナも何もかも、どんどんひどくなっていく風だ。しかしそこを相対化、パロディ化、さらにエンタメ化、フェイク化しないといけないようになっているということも、逆にまた深刻なのだろう。けれど、労働組合は現実に戻っていかないといけないし、マスコミのスキャンダル暴露に頼るしか企業に物言えないわけではないことを示していかないといけないのだが。


 今回の宝塚歌劇団で劇団側はハラスメントは否定したが、「個人事業主」扱いにしていたとはいえ長時間労働は一定認め、「精神障害を発病させる恐れのある強い心理的負荷の可能性は否定できない」とも認めて、安全配慮義務違反だったともしてはいる。どうやら、やりがい搾取と長時間労働やハラスメントと孤立が重なっていたという一般的傾向もあるが、業界の特殊性もあるようだ。エンタメ業界のことは詳しくなく、大谷さんやら藤井さんやらジャニーズやらお笑いやらアニメやら、マスコミでもてはやされる世界では、どれだけの力が働いているのか、さっぱりわからないが、自己責任どころか競争に勝ち抜くのが当たり前の世界は、一見、なかなか労働組合的な世界と交差しがたいようでもある。


 が、実際はアマゾン・ウーバーやバスケット選手の労働組合結成にしても、個人事業主か労働者かという線引きが、微妙になってきているところはあり、アメリカではハリウッドストもあったし、労働者的な権利意識とかも出てきている。業務委託契約のフリーカメラマンが通勤中交通事故にあった件で労災認定が10月12日付の決定でなされたとも今日の『朝日』で報じられている。


 他方でトヨタ労組は綱領の「労使相互理解」を「労使相互信頼」と変えたけれど、労使が、立場の違いを前提にして「理解」しあうというのではなく、あらかじめ立場が一緒であるかのように「信頼」しあえ、というのであれば、「ブギウギ」のストでストの先頭に立ったスターが最後に「責任をと」って劇団をやめざるを得なかったような、「信頼関係」を揺るがしたものは罰を受けるという、「共同体」(をとりしきる「上」の秩序)を壊したものは制裁というハラスメント的組織体質につながっていかないだろうか。


  企業における労使協調や、政治における政府与党とのスタンスのとりかたなどで、どうも「上」の立場を「信頼」(忖度?)する傾向も、強くなっているかに思えるのだが。そこを超えることをこそ労働法、労働組合は追求してきたのではなかったか、さて、どうなのだろう。今月は「過労死等防止啓発月間」、来月は「職場のハラスメント撲滅月間」でもあるし、労働組合は労働組合らしく、何とかがんばっていくしかないのだが。


<追記(16日)>コロナ対応の労働者の過労死も報道され、ここでも川人博弁護士が登場していた。川人博弁護士のお話は過労死等防止対策推進法の成立を受けて例年開かれる「過労死等防止対策推進シンポジウム」でお聞きしたことがあるが(2021年11月8日、翌日付のブログ記事をご覧ください)、この問題の裁判をライフワークのように取り組んでいるのも大変だろう。昨晩の「クローズアップ現代」でも、働き方改革を特集する企画の第一弾として過労死をとりあげていて、NHK自身の過労死事件をまず反省していたが、長時間労働に追い込まれていく状況に自らも追い込んでいくような構造も見えて、「自己責任」とはいったい何だろうかとも思わざるを得なかった。「自分の仕事だから」と「責任感が強い」人々を追い込んでいく「組織に対する責任」と「自己責任」との区切り目があいまいということ自体が「組織責任」なのだから、そこを組織が果たさなければならないのは、「ビジネスと人権」の精神からも言わざるを得ない。


   しかしこの番組では同時に、長時間労働の抑制で賃金が低下し、また労働強化も進んで、精神障害に追い込まれていくという例も紹介されていて、長時間労働が精神障害をもたらすばかりでなく、その抑制もまたそうだとなると、難しいと思ってしまう。「2024年問題」も、そうした弊害を生みそうな気もする。そうすると人手不足や構造的低賃金とかが問題になってくるのだと思い、賃上げを政府や経団連さえ掲げる事情も考えなくてはならなくなるのだが、こうした入り組んだ構造の中で、それでももがきながらがんばっていく必要があるのだろう。番組の終わりで過労死家族の痛ましく、それでも生きていく姿が示された。裁判といえば、昨日当ユニオンの浅賀井製作所裁判が4年の歳月を経て終了した。過労死裁判が今後続くような状況は終わらせなければならない。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。